Distance














「ん…」


夜も明ける前の、まだ暗い中。開いていたカーテンの間から、その空が見えた。


闇がまだ濃い、黒と紺が混ざった世界。


珍しい時間に目が覚めたもんだなんて思ってはみるけど、体の上に重みを感じた。


ああ、あいつの腕だという安心感。


こんな曖昧な世界が好き。


夜明け前と夕方、それも夜空に変わるくらいの時にしか見せない薄暗い幻想的な空。


そしてあいつの暖かさがはっきりとした腕の中。


低体温の俺と違って、俺を包み込む奴の体温は高い。


冷たい体の俺を暖めるように抱きしめてる、Jは寒くないんだろうか。初夏とはいえ、夜は冷え込むから。


「……綺麗…」


思わず言葉が零れていた。俺の、素直な感想。


黒と紺が混ざった、絶妙なグラデーションがかかったその曖昧な空の色と。


儚げでとてもささやかで、それでもしっかりとした優しい光を放っている月が、とても綺麗で。


―…お前、みてぇ」


ぼそりと背中の方から呟かれた低い声に、俺は驚いた。


背中の方とはいえ、それはまるで降りそそぐように頭の上から聞こえて。こいつは眠ってるとばかり思っていたから。


「…なに?」


「お前みてぇ、ってば」


「なんで」


即座に言い返す。


俺は月みたいじゃないよ。


儚くなんてないし、強さなんて何もない。優しくもないし、月と共通点なんて、何もないんだよ。














 ねぇ。


 俺の事なんて、お前が一番良くわかってるだろ?














「……お前何も言わないけど、さ…」


Jの言葉に、俺はそっと上を向いて奴の顔を見た。目を閉じて、夢でも見ながら喋ってる、みたいなJの行動に俺は見とれていた。


「すっげ優しくて、抜けた所もあるけど、しっかりしてて……誰よりも強くて、弱くて」


あのさぁ、J。寝ぼけてんのわかるけどさ、言葉、バラバラ。それに抜けたって何だよ。


「でも、それ他人に見せない強さも持ってる。それに、なんか淋しげで……もっと、オレに何でも言って欲しいんだけど…な……」


Jはそう言って、眠ったみたいだった。でも言った後に俺を強く抱き込んだ。


――――…ばっかじゃないの…」


これ以上お前に甘えたらお前を失くしそうだよ。


俺のすべてを見透かされてるみたいで、俺はそう悪態をついた。苦笑するように微笑んで、俺はまたさっきの月を見上げた。


Jの言った「淋しげ」な所は、月ははっきりと映し出していた。


弱々しい光を、それでもしっかりと放っていて。闇と溶けた淡い光がとても綺麗で、淋しくて。





























ねぇ、J。俺が月なら、お前は太陽だよ。


誰よりも強くて優しくて、傷つきやすくてさ。


でも他人に踏み込まれないように、いつでも前を向いて走り続けてる。


皆、お前のその背中だけしか見えなくて、お前についてく事で精一杯なんだよ。


ずっと一緒にいる俺だって、お前には追いつけないんだから。





























無邪気な寝顔で眠ってる奴を見上げると、やっぱり寝入っていた。


俺の左側は、いつだってお前だったよね。もうずいぶんと前から。


友達になって、こんな感情を持つ前から、俺の左側はいつもJだよね。


気づいてないんだろうね。お前、鈍いし。


携帯の電子音でJが目を覚まさないように、その音は消して。ぼんやりと明るくなって、見た時刻は4時をちょっと過ぎていた。


デカい図体の割には小さな寝息に、俺は思わず笑ってしまった。


声だけは抑えたけど、多分本人が見てたら「なに笑ってんだよ」とか言われそうなほどの笑顔だったと思う。


昔に比べたらJもそうなんだけど、俺もずいぶんと穏やかになったなと思った。


自分で言うのもなんだけどね。スギちゃんと真ちゃんに言ったら「前からだろ?」ってあっさり否定されたし。


隆ちゃんなんか「そうだっけ?」なんて極上の笑顔で答えるし。


それこそスギちゃんが見てたら、隆ちゃんの言いなりになってんじゃないかってくらい。


まぁ、こいつも気づいてないよね、多分。俺が心の中でずっと悩んできた事だったしさ。


Jは単純明快そうに見えて、本当は全然そうでもない。


一緒にいる時間が増えるごとにひとつずつJを知っていく。でも、知るごとにJがわからなくなっていく。


俺にはまだ、Jをわかっていない。





























「お前のことが好きなんだって、本当にお前に伝わってるの?」





























俺は帰ってくるはずのない答えを、待とうとはしない。2人でこうしてる時に、いつもこの時間帯に目が覚めて。


同じ言葉をこいつに問いかけるけど、答えは無い。


「……なんてね」


自分で打ち切って、俺は終わりにする。


これも、いつものこと。俺はそっと向きを変えてJの方に向くと、いつもと同じように目を閉じた。


もう、答えが無いのには慣れてるから。


「好き、だよ」


そんな声に、俺はばっ!と身体を起こした。


「おま、聞いっ…じゃなくて、あの!」


「知ってる。何年お前のコト見てると思ってんだよ」


Jはそっと俺の髪にキスをすると、唇に同じ事をした。


「……一回しか、言わないからな」


ぽそりと呟かれて、俺はまた顔をあげようとした。けど、それより先にJに抱きしめられて、俺はまた失敗した。


「なに、めずらし……」








「×××××」








小さくて、もしかしたら幻聴だったんじゃないかと思った。それくらい小さくてささやかな、言葉。


「……今、なん…」


「一回しか言わねぇっつっただろ」


「やだよ、もっかい言ってよ」


「だめ。言わないっつったんだから言わない」


「やだ。言って」


「だめ」


……この野郎。


「じぇーさんのけち」


「……幼児退行化すんなよ」


「うるさい」


Jが居ないと、どうしようもないくらい怖くなる。離れてるだけで、怖くなる。


そんなこと、何でもない。お前が居なくたって平気だよって顔を、いつもしていたいのに。


「……このまま溶けちゃえばいいのに」


「イノ?」


「このまま…夜が明けなきゃいいのにね……」


「……なに、泣いてんだよ」


言われて初めて気づいた。そっと目の縁を押さえられるまで、自分が泣いてるなんてコトに気づきもしなかった。


「っかんないよ、そんなの…」


「……オレの言いたい事なんて、お前が一番分かってるよ」


唇が降ってくる瞬間、俺は素直に目を閉じた。言い返す言葉もなくて、でもきっとJはわかってくれてると思う。


彼の言いたい事はいつの間にか分かってしまうようになっていても、それでもすべてを分かるとは言い切れない。


こんな曖昧な距離が好きだ。何もかも知らなくても、傍にいられる。


下手に何もかも分かるよりもよっぽど嬉しい。














「……そうかもね」














ふ、と微笑うとJも同じように微笑った気がした。


ああ、分かってるんだと思って。それが嬉しかった。





























明日には終わってしまう「恋人」だから。


だからこんなに、綺麗な月夜が妙に切なかったのかもしれなかった。