MOON LIGHT














何もない、って形容が似合いそうな程に何もない。


ただ流れるような、繰り返される波の音と、行き当たるまでどこまでも続いた砂浜の白さが闇に浮かんで目に痛かった。


さすがに冬(しかも夜)に海、は寒い。


何も考えたくないし、何も考えようとはしない。


頼むから放っておいてと言い放ちそうだったから、一人で車に飛び乗って走らせた。


行き当たる事はない。何かが欲しくて始めたものじゃない。


ただ、求めていたものと現実が違いすぎただけだった。


考えるのに嫌気が差して、一旦リセットしてまた始めたかったからここに来たんだと、今更ながらに自覚する。


傍にあるのは何もなくて良い。


ここにあるのは自分だけで良いんだって、言ってしまいそうになる。


繰り返し繰り返される波の音と、それに紛れて自らの歩く砂の音と、闇に紛れて光を反射して存在を主張する海と、どこからか


見える光。


ただそれだけしかないのに、ここはひどく安心させてくれるから。


妙なくらいに落ち着かせてくれるから、好きな場所のひとつだった。


濡れた砂の音で、乾いた砂地の上から移動してしまっている事に気付きはしたけれど、それでも離れようとはしなかった。


真っ黒な海が、ぽっかりと黒い口を開けて自分を待っているような感覚に陥って。


ならば飛び込んでやろうかと思いつつも、それでも“自分”を消す事は出来ないと悟っていて。


いつからか、自分が思うよりも自分は世間に浸透していて。





























「……ばー…っかじゃないの」





























言った言葉さえ、自分に届く前に波音に掻き消される。


何かに捕らわれているような錯覚も、何かに阻まれているような感触も。


全て自分自身が作り出したものとさえわかっているのに。
































歩き出せない、動き出せない自分がいる。






























この景色にはひどく不似合いの無機質な電子音で、ふと現実に戻された。


『もしもし?』


「あ、何?」


『何、その言い方。…お前どこよ』


笑いながらのその一言で、捜されていた事を自覚する。


電波の悪さか波音かのせいで、声さえ聞こえにくくなっていた。


「んー…さてどこでしょう」


答えるのも億劫な気がして、誤魔化すように微笑うと。


『波の音めちゃめちゃ聞こえるのに海しかねぇじゃん?』


同じように微笑って、返してくれる声。


『お前の家まで行ったら鍵閉まっててさー。捜すのめんどくせぇと思って』


「あぁ。ごめん」


ひとかけらの謝罪が伝わったのか、また微笑う。


『何、ヘコんでる最中?』


「ん…ちょっとね」


『そっち行こっか?』


些細な優しさに、素直に嬉しいと感じたけれど。


来てもらっても、何も出来ないのがわかってるから。


「ううん、いい」


『そ?』


「うん」


相手に見えないのに、こくりと肯く。


「……なんてね」


ぽす、と頭の上にでっかい手のひらを乗せられて、思わず振り返る。


「…なんで?」


「なんで、って。…家にいなかったから、ここかなって」


闇に慣れた目でも、その表情はうかがい知れなかったけれど。


「……ヘコんでるって言ったじゃん」


「うん」


「来るなよ」


「来たらいたんだもん」


「だもんって」


ひどく似合わない言葉に、思わず微笑う。


けれど、浮かんだ涙は消せなくて、ふっと拭き取られる。


「誰も見てねぇよ」


引き金になったみたいに。


「……っ……」


ちいさな、自分の嗚咽。


あぁ、俺泣きたかったんだと、初めてわからせてくれる存在。


なんで泣きたいのか、なんでそうしたいのかはわからなくても。


ただただ、泣いて泣いて泣きやんだら、きっとこの胸にある何かは取れるはずだから。ただひたすらに泣き続けた。


明ける気配もない暗闇と、どこかしら響く波の音と、少し離れて気にかけてくれる、存在と。


ただその暖かさが、どこか心地良かった。















































慰める為に来たわけではなく、ただ、本当に「まさかなー」なんて思いながらゆっくりと車を走らせた結果、本当に彼はいて。


何かを堪えるかのように、まっすぐに黒い海を見つめたかと思うと、ふと足下まで視線を下ろして。


その繰り返しで、彼が何かで悩んでいるのがわかる。


それを解決出来るのは自分ではなく、ただ本人だけだと言う事も。


ただでさえどこか細い線が、よりいっそう細くなっているような気さえさせる雰囲気の中で。


その中に入り込む事を拒否されるのが怖くて、電話をかけた。本当は、一人で解決させないといけないのかもしれないけれど。


彼は思われているより強くはなかった。


そして、逆に思われているより弱くはない事も。


手を貸すのではなく、一人にさせておくのが怖かった。


本当に思い詰めている表情が、その独特の雰囲気でわかるから。


ただぼんやりと見つめているだけなのに、妙に何かを考えているような所さえ。


来て欲しいとは言わない。


傍に居て何かを期待してるわけでもないから。


だから、傍にいるのではなく少し離れて。


彼が思う存分に涙を、そして悩みを吐き出せたなら。
































またあの綺麗な笑顔を見せてくれるように、そっと願った。


真っ黒な海と、うるさいくらいに響く波音と。


あの、暗闇に浮かぶ綺麗な青白い月に。