Christmas Ring














「クリスマスって、好き?」


突拍子もない言葉に驚いた。こんな言葉はあまりにも初めてで、どう返せばいいのかわからなかった。


「ねぇ」


だんだんと近付いてくる祭典。何を祝うべきなのか、そんなものは知らないけれど。


何故か毎年祝うべきものだといつのまにか認識されていたものだから、好きも嫌いもないわけで。


――――ただ。


「………どっちかってーと…嫌い、かな」


ぼんやりと窓の外を見つめていた井上が、思わず振り返る。


まだ少しだけ温もりの残っているコーヒーをごくりと飲み干し、不思議そうな表情でオレを見つめる。


「…なんで?」


好きそうに見えるかい。ああそうかい。


心の中で悪態をつきながら、オレは理由となるものを捜した。


「街に遊びに行ったらカップルばっかりじゃん。ウザい」


言い放った言葉に、井上は笑った。それと同時に、俺も嫌い、なんて首を傾げて微笑む姿。理由は同じ。


笑いながら、でも窓に貼り付くようにして空を見つめる姿に。


「……雪でも待ってんの?」


「うん、でも……降らないよね」


それでも。空をまっすぐに見上げる姿が、どこか寂しそうで。


「帰りたい?」


「え?」


「あの頃のオレらに」


途端に、世界がオレ達二人だけしかいないような錯覚に陥らされる。


確かに誰も居ない、オレの部屋。


けれど、凄く静かに思えて。


「……どういう意味?」





























オレは、その意味を知っている。


井上も、その意味を知っている。


だから、互いに言えない言葉。





























「……そのまんま」


読んでもいない雑誌のページをぱらりとめくり、少しだけ視線をそのままにして。


間違いなく、井上がこっちを見ているのを知っていて。


目を、逸らした。


「そのまんまじゃ、わかんないよ」


震えた声で、井上が呟く。


「…潤。ねぇ」


手を微かに伸ばして、でもそれはオレに触れることなくかたまって。


「……井上?」


今初めて気がついたという風に、ついと顔を上げると。


「…なんでもない」


俯いたままの、井上がいた。


表情も何も見えない、ただひどくはかない雰囲気をまとった彼が。


――――俺、帰るわ」


「井上?」


「ごめん。ほんとなんでもないから」


逃げ出すように、コートとマフラーだけをつかんだ井上が。


じゃあね、と、無理に微笑う井上が。







この部屋から出ていった。














































息苦しさと、妙な切なさのせいで逃げ出した。


冬の景色は変わらず寒くて、どこか寂しそうで、白い息を吐き出した。


潤の言いたい事はわかる。わかるんだ。


尋ねた意味の内容も、俺から言わせたかっただろう言葉も。




“あの頃”に帰りたいと言ったら、彼はどうするんだろうか。


“あの頃”に戻りたいと言ったら、戻れるつもりなのだろうか。




「そんなの…無理に決まってんじゃん」


誰に言うでもなく呟いて、軽いため息で言葉を掻き消す。


たとえ帰られるとしても、それまで俺たちが一緒に過ごして来た事実が消えるわけじゃない。


本当に戻れるものがあるとすれば、俺たちの間の肩書きだけで。


今はそんな肩書き、意味を成さないものとなってしまうのに。


「ばっかじゃない、あいつ」


白い息とともに吐いた言葉に、軽く苦笑する。


いつのまにか擦り寄ってきた仔猫を抱き上げて、そっとコートでくるんでやって。その暖かさに、俺自身がホッとした。


抱き上げた仔猫はにゃあ、とだけ鳴いて。それに首を傾げて、そっと覗き込む。


「苦しかった? ごめんね」


黒いふわふわとした毛がくすぐったくて微笑うと、また仔猫がにゃあと鳴いて。


それでも俺は、このぬくもりを手放したくなくて。ぎゅっと自分を抱きしめるように、仔猫を抱きしめた。




「好きだ」とも「愛してる」とも言わない『コイビト』。


それは例外なく、俺自身をも含んでいて。




でも、一度も言わなくてもずっとずっと好きだった。ずっとずっと愛してる。


言葉に出せないのは、受け取る前からそれに背を向けているお前がいるから。それを拒否しているのがわかるから。


だから俺は、一度も言葉に出さない。一度も言葉に出せないんだ。


「……小野瀬潤のばーっか」


だから俺には、いつも何か満たされない気分が抜けないんだ。

















































「手放せるわけねぇじゃん。……なーに馬鹿言ってんだか」


自分自身に、悪態をつく。


クリスマスは、本当は嫌い。クリスマスどころか冬さえも嫌い。


井上が、いつも以上に綺麗で、そんなの喋ったら感じなくなるのにものすごくはかなくなるから。


一度も好きだと言った事はない。一度も好きだと言われた事はない。


それでも成り立っている関係に終止符を打ちたいと思ったのは、この季節のせい。そして、あの瞳のせい。


どこまでも澄み切った空のような。


どこまでも何もかもを見ているような。


……井上の、あの瞳のせいなんだ。