ながい愛














深夜に近い時間に、インターフォンが鳴った。


その時間帯について苦情を言うつもりは毛頭無かったけれど。


一般論としてどうよとか考えてて、半分機嫌悪いままで出た。


淹れたてのコーヒーがオレを待ってるんだけど。


「どちら様……っと?」


重たいドアを開けたその向こうには、濡れそぼった隆が憮然としたかなり機嫌が悪そうな表情でこちらを睨んでいて。


見た瞬間かなり貴重なものを見たなぁなんて考えてるオレは無言で中に入れた。


脱ぎにくそうなブーツを珍しく履いていた隆は、玄関にどかりと座ると紐を解き始めて、オレは中に入りつつも振り返った。


「お飲物は何に致しますか?」


「何でも良い」


ただそれだけの返答に、わずかながらに苦笑した。


これは本当に機嫌が悪い。しかもかなり珍しいまでに、むしろ極悪だ。


ここは暖かいモノが良いだろうと、手当たり次第いろんな所を覗いてみて、どれくらい使われていないのか分からないココアを


見つけた。


とりあえず賞味期限を確かめて、それが大丈夫な期間だと確認して粉をマグカップに入れる。


甘めに作られる予定のココアをそのまま放り出して大きめのバスタオルと置きっ放しの彼の衣服を持って、隆にバスタオルを


頭から投げる。


「……何、これ」


「君が今入るべき場所は風呂。シャワーで悪いけど入って身体暖めて下サイ」


いつもなら丁寧に拭いてやるつもりが無いのはこれから彼を風呂場に叩き込む予定だからであって。


わずかながらに無表情から眉間の皺が増えるのを見つつも、彼はやっぱり素直に風呂場に向かった。


入って少しの時間が経ち、そろそろかなと思い立ち上がってさっきの粉だけの中身に砂糖を少量入れる。


その上から熱湯でそれらを溶かして、半分ほどまで湯で満たした上から冷蔵庫の中からミニサイズの牛乳を取りだして入れる。


少しだけ冷めたのを良い事に、猫舌の彼の事を考えて数十秒だけ電子レンジで温める。


けたたましい音が鳴り響くと同時に開かれたドアの方に極上の笑顔を向けて、リビングのソファの前に置いた。


そこに座れという命令は、彼以外には分からないだろう。


「……………ありがと」


ぽすりと小さくなって座った隆の頭にはさっき渡した大きめのバスタオルが掛かっていて。


それ故に彼の表情を上手く隠していた。


隆がココアに手を伸ばさないのを見咎めて、オレはわずかに首を傾げた。


「大丈夫。熱くないから、飲んでみ?」


ぐしゃぐしゃとバスタオルで髪を拭いていた彼は、オレの言葉に素直に、けれどもおずおずと手を伸ばして。マグカップを持ち


上げると、そっと唇を付けた。


オレはそれを見つめていたけれど、自分用のコーヒーがそろそろ飲まないと飲めたモノじゃなくなる温度だろう事を想定して手を


伸ばした。


「……ぁちっ」


「あれ。熱かった? ごめん」


「……ちょっとだけね。大丈夫」


少しだけ微笑んだのを良い事に、再び彼は唇を付けた。


どうやら先程までの世界ぶっ壊しそうなほどの機嫌の悪さは少しだけは晴れたようで。


彼はマグカップをテーブルに置くと、黙り込んでいた。


そっと近づいて、隆の頭に乗っかったままのバスタオルで濡れた髪を拭き続ける。


先程の、彼がやっていたような乱暴なモノじゃなくもっと優しくしてやりたくて。ふわふわとくるんでやるように拭いてやる。


やがてタオルが水分を吸って重くなったのを頃合いに手櫛で整えてやる。


「はい完成」


「…ありがと」


そう言って小さく頭を下げた姿に微笑む。


いつからか当たり前のようになっていた光景。


理由を聞かないのは、以前と違って共有できるモノじゃないから。


聞いた所で何を言ってやれるわけでもないし、だからどうと上手くアドバイスできるような出来た人間じゃないから。


あの二人のように何もかも完璧に分かり合えている訳じゃないと分かっているから、こういう所で上手く釣り合いを取らなければ


いけない。


むしろ、そう言う関係でも何でもないオレ達は。


「……みんなが」


「うん?」


「みんながね、頑張れって言ってくれるんだ」


本当なら嬉しいはずの言葉なのに、それを不安げに感じているような表情になっているのは。


「うん」


「でも、俺は一生懸命頑張ってるんだ」


「うん」


見る限り、本当に隆は頑張っていると言えるだろう。


時にはこちらまでインスパイアされてしまうほどの頑張りぶりに、いつもオレも励まされている。


「どこまで頑張ったら良いのか分かんない」


「……頑張らなくて良いよ?」


「え?」


「隆が頑張ってるのは知ってる。いつも、いつでも頑張ってくれてるから。たまには手ぇ抜いても、オレ達は何も言わないけど?」


「………だって、……」


「みんなが頑張れって言うなら、オレは頑張れとは言わない」


「……うん」


「頑張らなくて良いよ」


「…っ……うん……」












































ながい間愛してくれなくて良い。


たった一人、愛してくれるならそれで構わないと思う。


けれどやっぱり気持ちは正直で。


ただひたすらに愛を願って叫び続けている。


永遠なんて信じていないのに、矛盾した愛を希っている。


だから、こんな風に頼っている。














『もっとながい間 愛してくれませんか?』














他の人を見ている彼の。


たった一人からの、この人からの愛が欲しいと叫んでいた。












































「杉ちゃんは、そういうの無いの?」


きょとんとした表情で聞いてくる隆に、オレは軽く首を傾げて考えた。


「んー……あるけど。さっきの隆ほどじゃないかな」


「ふーん。さすが歳食ってるだけあるよね」


「キミと一歳しか変わりません!」


笑っていると、隆はすくっと立ち上がる。


「んーじゃ、そろそろ帰るね。ありがと、杉ちゃん」


「うん。またいつでもおいで。悩み相談室になってあげるから」


綺麗に飲み干されたココアも役割を果たせたようで、オレは少しだけ安堵した。


「…………アイツとは、会ってる?」


「え?」


「イノラン」


唇が動いた言葉が、どれだけオレ自身に対して残酷なのかも知ってる。けれど彼の前でオレが気にするのは当たり前の事で。


むしろ、隆にとってオレは『ただの兄貴』代わりでしかないから、しょうがない事なんだけれど。


その道を選んだのはオレ自身で。彼の背中を押したのもオレだから。


「あ、うん。この間一緒にご飯食べに行ったよ」


この立場を選んだのはオレなんだから、どうしようもない事なんだけれど。


それでもやっぱり、苦しい。


「そっか。そりゃ良かった」


「うん。ありがとね、杉ちゃん」


「え、なんで?」


「だってあの時、杉ちゃんが応援してくれてなかったら。俺、言えてないままだと思うんだよね」


凄く感謝してるんだから、と微笑った隆の笑顔に、涙が出そうになる。ツキンと鋭い痛みが走る。


けれども、そんな事は微塵も見せちゃいけない。


「……そんな事ねーよ。ほら、イノ待ってるんだろ? 早く行ったげな」


「うん、そうするね」


笑って隆が出ていくのを見届けて。


閉まった後で、ちゃんと鍵をかけながらもどこかホッとしつつ嘆いていた。





























『もっとながい間 愛してくれませんでしょうか?』





























「……ほんと、その通りだわ」


苦笑しながらその歌が聴きたくなって、一枚のCDをあさる。どこにやったっけかなと思いつつも、目的のそれを見つける。


ウォークマンに入れてイヤフォンをして、出来るだけ大きめの音で。


どれだけ愛していても、けしてそれを口には出せない。


どれだけその関係を望んでいたとしても、それを口には出さない。


理由は『いつか終わるモノ』である事が分かっているから。どれだけ仲が良くて、どれだけながい間を、一緒に過ごしたとしても。


始まりがあるモノは必ずいつか終わるモノだから、知らぬ間に形成されていたこの関係よりは脆いモノだと信じていた。


だから、けして好きだとは言えなかった。


「苦しい恋なんて、しない方がマシかなぁ」


久しく吸っていない煙草に火をつけて、軽く吸い込んで紫煙を吐き出した。


もしも奪ったとしても、きっと彼は自分を憎んでしまうだろうからそんな事は出来ない。


純粋な想いを焚き付けたのはオレで、隆が誰よりも焦がれているのはオレじゃないと分かっているから。


必死に抑えていたタガを外したのがオレだから、きっと彼はオレを愛する事など無い。












































『もっとながい間 愛してくれませんでしょうか?』












































少しだけの愛よりもあふれるほどの愛。


残酷なまでに優しい愛なんか要らない、奪って奪われるような必死な愛が欲しい。


けれど相手は隆以外誰も欲しくない。そう気付いてから、必死に抑え込んでいた。


誰よりも愛している相手を誰よりも残酷に傷つけるなんて馬鹿みたいだから。


願うほどの事もない。願ってもけして出来やしない事を、ただひたすらに希っているのが悲しい。


「……………ふぅ」


イヤフォンを外して、さっき飲み干されたカップを洗う。自分の分は軽く拭いて、また新しいコーヒーを満たす。


一口含んだだけで苦い味が満たされる。それだけだけで、彼の思い人を思い出す。


あの人はコーヒーをこれまでかと言うほどに好んでいて、コーヒーがあまり好きでない隆は少し苦笑いで見つめていたのを。


「末期かなー、これ」


わずかにだけ苦笑して、カーテンの隙間から見える空を見つめた。


雨が降り続けるのも、こんな夜にはたまには良いかもしれない。


静かな夜は、嫌いじゃなかった。