今日が雨だったから。


だからきっと、こんな気持ちになったんだ。














Come closer















「誕生日おめでとう」


さらりと言った言葉に一瞬反応が遅れて、彼は至極嬉しそうに微笑ってくれた。


まるで真夏の太陽そのもののような笑顔に決心がぐらつきもし、泣き出したくなるような気さえもした。


けれどそれはけして彼にとっては良いものであるはずもなくて、自分勝手で我侭な想いの結果である事も分かっていた。


いつかずっと前に、誕生日に季節はずれの向日葵を抱きしめて渡してくれた。


向日葵はまるで彼のようだとも思っていたにもかかわらず個人的に好きだった花だった。


ようやく受け取った花束の一番でかい花を見つめて笑顔を取り戻し、彼は再び嬉しそうにその花束を抱きしめていた。


とりあえず中に入れてくれたものの、続ける言葉はけして彼にとって幸せであるようなものではないと思っていたからこそ俺は中に入るのを


躊躇った。


けれどもそれは余計に彼の不安を煽るようなものである事に気が付いて、普段通りを装い慣れた部屋へと足を進める結果になった。


「残念だったね、雨で」


この男はまったく運がないのか、ライヴの日だったり奴にとって特別な日であればそうである時こそ天気はそっぽを向く。


そうやってわずかながらに彼の機嫌を突き落とすのが得意だった。


同じ所にいた時には彼と同じくらいのお天気仲間がいたせいかさほど天気を崩されはしなかったが、一人になると彼の精神状態とは裏腹な天気を


連れて来る。


機嫌がいい時ほど酷い雨を。


機嫌が悪い時ほど晴れた空を。


いつでも正反対の鏡を見せ付けるかのような今日の天気はまったく酷いほどに叩きつけるような雨で。


まるでそれは綺麗な空を予告しているようで、それは彼の精神状態がこれから落ち込むのだと突きつけているようで酷く罪悪感に突き落とされる。


しかし彼はそんな事は少しも気に掛けないかのように、先程俺が手渡した花束を嬉しそうに水に浸していた。


いつ来ても花瓶というような洒落たものがないこの部屋に、俺はまったく何の期待もしていなかった。


だからこそ、彼の手のひらには透き通った綺麗な花瓶が収まっていて、これからあの透明の花瓶に綺麗な花束が飾られるのだと思うとわずかに


気持ちも浮上した。


「わざわざ来てくれるとは思わなかった」


至極あっさりとした口調でそう言った彼を睨みつけるけれど、それも効果をなさないのかへらっと微笑ったままで。


俺は拍子抜けのように表情を崩すと、淹れてくれたコーヒーを口に含んで飲み下す事しかできなかった。


「そうかな。でも」


そこでいったん俺は言葉を切ると、苦々しい表情のままで顔を上げた。


「お前に言いたくなった」


「珍しいじゃん」


「うん。最後、だから」


こんなに雨が降っているのは、まるで俺の気持ちがすべてばれているような気さえもした。


こんなに強い雨の中で、ただ一人で俺は歩き出したくなったから。


だから。


「最、後」


「恋人として、最後」














こんなに雨が降っている所為なんだ。


お前と別れたいなんて思ったのは。


こんな、普通なら絶対浮かばないだろう想いは。












































「別れ話でも、しようかなって」












































「………それで良いのか?」


何とも思わないかのような表情で小さく小さく呟いた彼に、俺はただ肯く事しかできなくて。


ここで悲しむのはお門違いだと分かっていたからこそ。


泣き出す事も、逃げ出す事さえもしてはいけないんだと知っていた。


「そっか」


「……潤、俺……」


「オレは結局、お前の事は救えなかったわけだ」


「潤っ……」


「悪かったな、井上。今まで付き合わせて」


きっと言葉を紡ぐのに辛いはずなのに。それでも潤は表情を変えていないままで。


どうしたらいいのかも何もかも分からなくて、俺はただ小さく項垂れるままだった。


俺はずるくて卑怯だから、だからこそこいつの『恋人』ではいられなくて。


「なぁ。オレはさ」


いつの間にかすぐ傍にまで来ていた彼に、俺はわずかに顔を上げる。


「お前の事、少しでも癒せてやれてた?」


「……うん」


「お前に負担かけてなかった?」


「うん。いっぱい、幸せもらったよ」


彼がくれた十分の一でも、百分の一でも返せたならそれで良いと思った。


けれどきっと、俺は潤には何も返せていないはずだ。


我侭で、卑怯で、馬鹿だったから。


「いっぱい……いっぱい、いろんな事教えてくれた」


数え切れないほど幸せだった。


潤の傍に居ると、自分でも驚くほど泣いたり笑ったりできた。


「ありがとう、潤」


悲しいほどに優しかった彼の傍に居ると、もどかしいほど何もできない自分に会う事になる。


そんなのをもう見たくないと思ったからこそ、潤の傍には居られなかった。


彼には、俺なんかが『恋人』じゃ駄目だから。


そっと包んでくれる腕の優しさに涙が出そうで、必死で我慢して飛びついた。


近くにいる事の幸せも、遠くにいる事の寂しさも与えてくれたけれど。


だけど、それでも傍に居たいと思った。


彼の傍で、少しでも幸せに思ってくれたらいいと思っていた。


だけど現実はそう甘くなくて。


いつからか自分の至らなさばかりが目について、いつからか自分の馬鹿さ加減に嫌気がさした。


傍に居るだけで良いと思ったはずなのに、それでも欲望はどんどん増えていくのに気が付いた。


「なぁ、井上? オレ、お前が好きだよ」


「うん」


この言葉に同じ言葉を返せないままだった。


無条件で与えられる言葉が嬉しかったのに、同じようには返せないままだった。


「……俺も、潤が大好き、だよ」












































井上からの花束はあれからしばらくして枯れてしまって、あとに残ったのは綺麗な花瓶と一輪の向日葵だけだった。


別に丁寧に扱っているつもりはないけれど、それでもやはり彼からのプレゼントだと言うだけでオレはそれを大切にしているようにも思う。


井上を幸せにしてやれたとは思えない。否定してくれたけれど、それでも井上に負担をかけたとは思う。


あんな事があった、一番大切な人を助ける事ができなかった。


気分ひとつでいつも吸っている煙草さえも味を変える。


珍しく、最近はオレの気分に合わせてくれているかのように雨も降り続いていた。





























あいつの好きな「静かな夜」は、少しでも彼を癒してくれているだろうか?
































灰皿に押しつけた煙草を見つめながら、ふと思い返す。











『潤は向日葵の花言葉、知ってて俺にくれたの?』











知っているも何も、あまりにも自分に合いすぎた花言葉はむしろ忘れられないままだった。


いつかあの人に教えてもらった花言葉。











『知ってるか? お前の誕生花の花言葉』


『知るワケ無いじゃないッスか。そんなの知ってるなんて珍しい』











あの時、オレは自分の誕生花を思い出すだけで必死だったんだ。


そして同時に、彼の言葉に追い打ちをかけられたような気さえしたんだ。











『お前にぴったりすぎて泣きそうになるよ』











優しかったあの人は、そう苦笑しながら酒を飲み干した。


いつか、また飲もうと言った約束ももう果たされる事はないけれど。











『それがひっくり返されるのを願ってるよ』











恋人としては無理だったけれど、友達としてなら少しは癒せるかもしれない。


そんな悪あがきを続けても良いでしょう?











『だから何なんですか。確かオレのって向日葵でしょ、そんな悪いのなかったんじゃ』


『そう思ってたんだけどな、オレも。友人に聞いたのさ』











悪あがきでも良いから、少しでも井上の心が癒されるように。











『向日葵の花言葉は、 “悲恋”なんだってさ』