もしも貴方さえ手に入ったなら 例え世界中を敵に回しても構わない。 大切なモノはいつでも、無くしてから気付くモノだと誰かがうそぶいた。 もしもそれが本当だったとしたなら、今手にある大切なモノは何だったんだと叫びたくなる。 この人以上に大切な人など在りはしないのに? 穏やかに眠る彼の姿は本当に久し振りで いつ哀しそうに笑顔を作っている事をいつからか見抜いていた。 必死に微笑って、他の誰にも迷惑をかけないように。 そうする事がどれほどつらいかを俺たちには微塵も見せずに。 ただ、微笑ってみせた。 いつものように、ごく、自然に。 いつからかそれが苦しくて、彼を抱きしめた。 最初の方こそ戸惑いこそすれ、しまいには仔犬が啼くかのようなちいさな声で震えた。 誰の為に生きてきたのかなんて火を見るより明らか。 通じ合っている想いの間に、俺が割り込んだだけのこと。 ――――……傍にいさせてよ。 それさえも響かない。 何もかもを拒んだ暗い心の中は。 ただ、彼を無理な笑顔を作らせた。 誰にも気付かれないように、ひっそりと、声を殺して泣く日々を隠して。 ――――ねぇ、俺が居るよ? 何度言っても届かない言葉は一体どこへ消えるのか。 どれほどの想いを込めても届かない言葉は、次は誰に向けられるものか。 けれど彼はそれさえも拒んで、独りを選んだ。 彼の代わりなどどこにもいやしない。 もし居たとしても、愛してくれるかは判らない。 それに。 もしも貴方が彼を愛してしまったとしても 失われた日々はけして代わりにはならない。 あの、二人が共有した長い時間を埋める事などはできない。 「イノちゃんはいつになったら気付くんだろうね」 俺の想いに、いつまで気付かないままなんだろう。 それとも――それさえも“フリ”なの? 一緒に居たいのは、俺だけだって判っているのに。 俺はまるで子供のように、それを希って泣き叫んでいるだけ。 傍にいたいのは、傷が癒えるまでの間で良いと呟きながら。 俺は一生傍にいる事を願い続ける。 それはすなわち、傷が一生癒えないという事で。 「隆ちゃん……こんな所にいたんだ」 安心したように少しだけ微笑む姿。 それは彼と居た時のような笑顔ではなくても。 微笑ってくれるようになるまでの時間は、気が遠くなりそうなくらいかかったから。 あの日から君は、ひとりになる事を怖がり続ける。 そしてそれは、彼が居なくなったあの日のような綺麗な満月の夜には。 気が狂うように泣きながら、失われたただひとりだけの腕を探し続ける。 俺の腕を探してくれているように。 いつか、変われたなら。 「ごめん。……どうしたの?」 「ただ、姿が見えなかったからなんだけど」 濡れた髪がてんでバラバラな方向にはね飛んでいるのを元に戻るように手櫛で梳く。 それだけで元に戻る髪は、彼の雰囲気を取り戻す。 「あのね、イノちゃん」 「うん?」 「……明日、海に一緒に行かない?」 拒否反応を示すのは、彼が消えたあの道路。 そこを通らないような道ばかりを選んで運転するのはちょっと困難で。 けれど俺が通う海は、けしてそこは通らない。 「海?」 「そ。久し振りに行こうかなと思って」 ようやっと微笑んでくれた君に、俺も一緒に微笑って。 「良いけど……俺、ねぼすけだよ?」 「知ってるよ。だから、車の中で寝てていいよ」 「んじゃ、行く」 ひとりになる事を極端に怖がる君から、愛猫までもを傍から離れなくなった。 それは良い事なのか それとも悪いのかは まったく判らないけれども。 少しでも笑ってくれるようになったなら それで充分だと、医者は言った。 俺たちの姿を、月だけが見ていた。 |