「さよなら、だよ」





ぱたん、と閉じた扉の先にはあふれるほどの光があるというのに閉じてしまった。


本当に終わるなんて言葉は好きじゃないと知っていたけれど、それでも目の前のいつにもまして儚げな彼は顔を上げた。





「イノ? 冗談言ってねぇで」


「冗談なんかじゃないよ。……騙そうとも思ってない。ただ、聞いて」


「………な、に」





顔を上げた彼の表情はいつもと同じだったはずなのに。


それを望んだのに、瞳がまるでカラーコンタクトでも入れたように赤く染まっていた。





「……吸血鬼、って知ってる?」





























例えば君が捧げるすべてのものを






























イノランが言って微笑ったのに、何も言う事は出来なかった。

さよならの意味と、今の『吸血鬼』の意味とがごちゃまぜになって言葉を言う事さえ出来なかった。

出来たのはただ口唇を開いたり閉じたりするだけで、何を言えばいいのかさえもわからなくなって。




「……イノ?」

「信じないよね。そりゃ、普通は」

「いつ、から」

「はっきりとわかったのは、1年前。そんな変わる事でもなかったんだけど、全然何も変わらなくなった」




成長しきっているこんな年代なら、どうも自分が成長しているとは思えなかったけれど。

イノランは身長も体重も、まったく変わらなくなったと呟いた。




「最近は何食べても、何の味もしなくなったし。前以上に昼、起きられなくなった」




自然と仕事が出来なくなり、夜以外はとてもじゃないけれど起きられなくなった。

夜にすべてのスケジュールを回している分朝や昼はすべて睡眠にあてて。




「……他の誰に言えなくても、やっぱ……潤には言いたくて」

「なんで?」

「……さぁね」




自嘲するように、だけど何処か困っているように微笑って。

どうすればいいのかなんてきっとイノラン自身にもわかっていない。




「これでも、今起きてるだけでも結構疲れてるんだよ。何でかなんてわかんないけど」

「そんなに体調悪いのか?」

「ん。結構キツいかな」

「じゃあなんでオレにはメールくれたんだよ」








そんな事、ひとつの感情以外何も思い当たらなかった。


ただ傍に居たかったと思うだけではなかった。





















「逢いたかった」





















ささやくような声音でも、響いた声には何処か強い感情が残っていた。


まっすぐに見つめられる視線は同じでも光る赤い瞳も気にしなかった。


ただ、抱きしめた。








「逢いたかったんだ」








本当に吸血鬼になってしまったのなら、もう二度と逢えなくなる前に。

愛しい人に逢いたくてしょうがなかった。

逢いたい、と強く思ったのは彼しか思い浮かばなかった。




「………」

「だから、今日で最後。さよならだよ、潤」




長い長い時間を一緒に駈けてきたけれど、今日で最後だった。

少なくともイノランはそのつもりだった。

好きでこんなものになったわけじゃない、だけど逢うとなったら話は別だったから。




「なぁ、イノ」

「なぁに?」




喋るたびにふわりと動く髪にあの時と何も変わらないのに、と思いながら、強く抱きしめた。

ずっと前に変な話を良く知る友人に教えてもらった、吸血鬼の話を。

こんな時になって役に立つなんて思いもしなかったけれど。




「お前、今まで誰かの」

「無いよ。そんなのしたくないし……誰も道連れになんてしたくない」




きっぱりと否定して、ふるふると首を振った。そんな事は出来なかった。

だけど今はもう何かを食べても味はしなくて、衰弱しきっていたと言えばしていたんだろう。




「……オレも駄目か」

「え?」

「オレの血じゃ、駄目か?」




そんなわけないと即座に言う事も出来なかった。

だって彼を傷付ける事なんて考えてもなかった。




「オレの血が欲しいんだろ?」

「違う!」




しがみつくようにして抱きついて、そんなもののために呼んだんじゃないと強く否定した。

ただ逢いたくてどうしようもなかったから呼んだだけ。

外に出る事さえも出来ないから、来てもらっただけ。




「逢いたかった。それ以外、何もないよ」

「どうでもいい」




ぷつ、とボタンをはずして首筋を晒した。

ベッドに押しつけた瞳が何も映さないようにしているのを、強く自分に引き戻して。

視線を逸らさないように、口付けた。




「そんなのどうでもいい。このままだったら、お前は死ぬんだろ?」

「……かも、しれない」

「血なんか枯れる前に吸い尽くしさえしなければ死んだりしねぇよ。

 オレはお前と同じ生き物になって、お前の餌になって生きる」




そっと口付けた口唇がいつも以上に驚くほど冷たくて、暖めるように口付けた。




「お前もオレの餌になって生きる。そしたら、ずっと二人で生きていける」

「でもそれは……!」

「イノ」




ぐ、と両腕を掴まれて見上げた瞳の先には、見た事もなかったような強い瞳。

ああこんな瞳に惹かれたんだ、と思った先の言葉に、思わず涙が出た。





























「それとも、永遠を共にする相手にオレなんか選べない……?」





























「………じゅ」

「お前が許してくれるなら、オレのすべてをお前に捧げてやる」

「……怖くないの?」

「お前が居ない世界で生きていく事の方が怖い」




ああ、そうだ。

彼は酷く独りになるのを怖がっていたのに。

なのに、こっちから手を離すなんてさせてくれない事を誰より知っていたはずなのに。




「お前が居ないと生きていけない世界の方が生きてる感じがする」




くすりと微笑って、もう一度口付けた。





























そっと滑らせた肩は何度抱きしめても、決して手に入る事など無いと思っていた。


何度願ってもそのすべてが手に入る事など無いと思っていた。


だけど、君が俺なんかのために君のすべてを捧げるというなら、同じように返すよ。


例えば君が捧げるすべてのものを俺に渡すと言うのなら、俺が捧げるすべてのものを君に。











だから、どうか。


離れないで。


傍に居て。





君が居ないと生きていけない。


そんな世界が、こんな所で手に入るなら。





どうかいつまでも、傍に。