満開の桜の花。


 頬を撫でる優しい風。


 草は喜び、花も空の愛しさにつられて綻び始める。


 好きだった冬のまるで凍るような冷たさは逃れ、何故か自然と笑顔になってしまいそうな柔らかい日々。




 ――――俺を置いて、君は逝った。





























Pieces






























 「どうかこの願いが届く事を信じて。

  これからの願いはごく私的な事で、オレの我侭です。

  だけどそれでも守られる事を祈って書く事にしました。

  オレにはこれから迎えが来ます。理由も言い訳も、何もあえて書きません。

  オレが死んだ後に色んな奴が理由をつけてくれるだろうから、それで充分です。

  だけど、せめて死んだ後の事を少しだけ聞いてもらいたいと思ってこれを書いています。

  葬式は簡単に済ませて下さい。

  オレの事を本当に知ってくれている人、オレの死を本当に悲しんでくれる人だけを招いて、

  内輪で済ませてくれ。

  オレが今まで大切にしてきたものをどうか出来る限りすべてオレと一緒に焼いて欲しい。

  オレが欲しがったものを他の誰かに渡したいとは思わない。

  出来れば全部持っていきたいけど、それは無理だから。

  だからオレが大切にしていたと思い出せる限りで良い、オレと一緒に焼いて下さい。




  それから、オレの事を忘れないでくれなんて言わない。

  そして忘れてくれとも言わない。

  ただ本当にオレの我侭として、オレを愛してくれた人達が、記憶の中でオレという人間がいたという事を

  覚えていてくれたら嬉しいです。




   ――――今まで、ありがとう。
















「馬鹿じゃないの、お前」




 ちいさな声で呟いた言葉ももう相手には届かないと知っていながら、呟いた。

 手にあるのは彼からの、残された人間達への遺言状。だけど何故か泣く気も起きなかった。

 そんなのは彼の死を知った時からずっと、泣く事も出来なかった。

 すでに棺桶の中には彼が大切にしていたと思い出せるだけのものを詰め込んだ。

 ベースも、楽譜も、気に入っていた服も、吸っていた煙草も、好きな花で作った花束も一緒に。

 残るはベッドの上に横たわる彼自身だけ。

 だけど自然と怒りも哀しみも起こらないのは、多分きっと膨大な数の絶望が自分に襲いかかっているせい。

 そう、酷く他人事な気分で彼を見下ろしていた。

 普段は見下ろされる事が多かったから、彼が寝てくれないと決して彼より小柄な自分は見上げる事が出来なかった。

 高校の時くらいは確かいつか見下ろしてやる!なんて言ったななんて思い出して。




「……ねぇ」




 ぐったりとベッドの縁にもたれるようにして彼を見下ろした。

 淡い金髪の髪型も、伏せられた瞳も、閉ざされた口唇も。今にも動き出して自分を抱きしめてくれそうなのに。

 なのに彼は決して動かない。魂が、ここに存在しない。




「俺は大切じゃない?」




 ちいさく呟いた言葉は少しだけ非難めいた。











 大切にしているものすべてを自分と一緒に焼いて欲しい、と言った。なら、自分は?


 俺は大切じゃないって? 冗談じゃねぇよ。ばーか。


 この大嘘つき。











 彼が死んだ理由も何も、全然解らなかった。

 あんなに一緒だったのに、何ひとつ解らない。

 だけど理由なんてものはきっと自分自身にも、そして彼を取り巻いていた環境すべてにあったんだろう。

 それを今更どうこう言うのは自分たちらしくない。真実なんて、彼にしか解らない。

 だけどあえて聞きたい事はあった。











 絶望した? 悲しかった? 苦しかった? 闇しかなかった? 孤独だった?


 それとも少しは光があった? 救いさえもなかった?


 その中に、俺は入れなかった?











 もう、どうでも良い事だった。

 そっと冷たい口唇を重ねて。立ち上がって、少しだけ微笑んだ。




「……待ってて」




 俺も、すぐにそこに行くから。だから少しだけ待っていて。

 二度と抱きしめる事も出来ない広い背中。涙を流す事も、何もない。だけどそれでも、傍に居たかった。

 例えそれを彼が望まないとしても。

 記憶の片隅に彼を追いやってまで生きていけるなんて思えなかった。

 彼の存在しない世界に自分が存在する、それだけの事がただ酷く嫌だった。

 だって十年以上も一緒にいるのに、別れる時はバラバラなんて冗談じゃないと思わない?




「ねぇ、だから」




 もうすぐ、すぐに行くから。そこで待っていて。

 お前は俺がいないと何にも出来ないって自分で言うんだから、ほんとしょうがないよね。

 「空気みたいな存在」なんて、良く言うよ。俺がいなきゃ息も出来ないって?

 本当に、馬鹿だよね。しょうがないから行ってやるよ。































 
愛してるよ。


 誰よりも、ずっと。永遠に、お前だけを。


 今までずっと恥ずかしくて言えなかったけど。


 愛してる。
































「信じらんねぇ……」

「………ほんと、冗談じゃないよね」




 心底呆れかえったようにして骨を入れてもらった小瓶を見つめた。

 人も大分まばらになってきて、見上げた空は嫌になるくらい晴れていた。

 あの幼馴染み同士二人はきっとこの空の上で手を繋いで、でも喋っている言葉は非常に下らない事だろう。

 もしかしたらあの先輩も一緒にいるかもしれない。




「冗談じゃねぇよなー…」

「……と言うかもうむしろ呆れたわ、おれ」

「やだ真ちゃん、お疲れ?」

「疲れもするだろ、隆……」

「まぁ、ね。やってくれるよね、イノちゃんも」




 本来幼馴染みと言ってももう差し支えないくらい同じ時間を過ごしてきた二人が死んだ。

 一人は数日前に、一人は数時間前に。

 それでも二人一緒にしなければならなかったのは、その繋ぎあった手が決して離れようとしなかったから。

 もとから、この二人の繋がりの強さを知っていた彼らはもう二人一緒にしてしまうしかなかった。

 憤りも悲しみも、何も浮かんでは来なかった。

 ただ唯一悲しいと思えたのは二人一緒に失ってしまったから。

 笑いあって馬鹿話が出来る五人しかいないメンバーの中で、残されたのはたったの三人。




「で。骨壺はどうするって、親御さん?」

「もう二人一緒にしちゃっても良かったんだろうけど。どっちがどっちの骨やら解らないしね」

「それじゃ?」

「だって二人とも幼馴染みだから。どっちの骨も入れて、二つに分けるって」




 焼けなかったのは彼らが残したアクセサリ。それはやはり、遺言には背く事になるけど。




「オレ達がもらっちゃう事にしたぜ。J、イノラン」




 小さな骨壺と化した瓶の中の彼らに、そろって笑って語りかける。

 多分彼らはきっと『言った通りにしろよ』なんて言いながらも笑ってくれているはずだった。

 それぞれが手にした小瓶。それにそっとかけられた、鎖。

 親御さん達にどうしても渡せなかったのは、それが二つ一緒のものだったから。




「バレないようにしてたつもりだったんだろーけど?」

「残念でした、J君、イノちゃん?」

「これはちゃんと、かけておくから」




 同じ指輪。一件どこにでもあるようで、でもそれが決して他のものと同じではなかった指輪。

 一度焼かれた後でも、それらは彼らの手でまた輝きを取り戻していた。鈍く、だけど綺麗に光る銀色の光。

 ひとつの銀色の鎖に通された、少しだけサイズの違う唯一無二の指輪は一緒にされていた。

 いつか一緒に葬られても、それは永遠に一緒にいられるように。




 二人の親友の所には、十字架のネックレス。

 二人の兄代わりの所には、同じ形のリング。

 二人の親代わりの所には、リングのピアス。




 そして、同じ墓に入れられるだろう時には、彼らが最期まで身につけていたリングをかけよう。

 どうしようもなく我侭で自分勝手だったけれど、それでも愛しい彼らだったから。

 いつまでも二人一緒にいる事を望んだ彼らだったから。

 どうか空の上で自分たちを見ながら、それでも他愛ない言葉を交わしながら笑いあうあの二人がいつまでも一緒にいられる事を

 願って。