流れるような声をずっと聴いていたかった
響く音色も、奏でる音も、すべてずっと好きだった
その声から紡ぎ出されるすべての音が好きだった

あまりに近付き過ぎたからこそ、今はこんなに離れてしまっているのかもしれない
ただオレは、君がずっと傍にいてくれる事だけを願っていたんだ

やわらかく微笑む姿も、楽しそうに爪弾く姿も
ずっと好きだった

何もかも、ただずっと君だけが好きだった。












ALL STANDARD IS YOU












 突然降り出した雨が、彼を急速に思い出させた。
 いや思い出させたんじゃ、無い。オレが思い出さないようにしていたからだと、ようやく気付いた。あいつから離れるようにがむしゃらにベースを弾き、仲間と笑い、喉が潰れるように唄って。そうやって手に入れたものはとてもかけがえのないものだったけれど、だけど同時に何もかもがあいつを思い出させるものだと思い知った。ベースを始めた時には隣にあいつがいた。最初に仲間と呼べたのはあいつだった。唄った時にそのめちゃくちゃな歌詞に微笑ったのもあいつだった。
 何もかも、あいつがいたからこそオレはここに立てているのだと思い知る。
 オレがいるからという理由だけで高校を選んだ。オレが勧めるからとギターを手にした。オレが楽しそうだからと、弾く事を選んだ。ただオレはいつもそれに甘えていただけだった。何も言わなくても通じ合えるなんて言われていた時にはそうかもしれないと思ったけれど、それはあいつがオレの意思をちゃんと汲み取ってくれていたからだってわかった。いちいちこんな事言わせんなよ、わかれよこれくらいと苛立つオレをそっとやわらかくなだめていたのもあいつだった。
 そうしてすべての道の先にいる相手が、運命の相手だと他人は言う。だけどオレは運命の相手なんてものじゃない事くらいわかっていた。わかっていて、あいつに甘えた。
 最近何もしなかったのは、あいつを思い出さない為だった。忘れる事など出来ないくらい、鮮明にオレの中に足跡を残していくあいつを少し消してしまおうと思ったから。今頃になって好きだと言った所で、何を今更と微笑うんだろう。本当に今更だからこそ伝えられなくて、だけど今更だからこそ改めて好きなんだと言いたかった。だけど言ってしまったら何だか馬鹿にされるか冗談で終わるか、はたまたこの関係が崩れてしまいそうで言えなかった。ずっと、大切に思ってきたのに。

「で、どうしたいんだよ、お前は」

 酷く呆れ気味に呟くスギに悪ィ、と呟く。スギだってこんな事聞かされるの嫌なんだろうと思ったにもかかわらず、彼はにんまりと人の悪い笑みを浮かべてオレをのぞき込んできた。
 それはイノの専売特許だったからこそ、オレは思わず身を引いた。

「何、その態度。人に相談しといて」
「…………悪ィ」

 何度目かの言葉を呟くと、スギは突然にっこりと微笑んだ。その妖艶と言うべきか完璧と言うべきか、隙のない笑顔が若い頃はとても嫌いだったのだけれど。スギだってわざとそんな風にしているのではないのだと気付いた時、ようやく彼との壁を取っ払えた気がした。
 別にお互い嫌いだった訳じゃない。ただ、受け入れられない部分があっただっけだった。若い頃は。

「お前がオレに相談なんて珍しい事もあるもんだね?」
「別に珍しかねぇだろ」
「いーや、お前がいつもイノ奪ってくからオレはいつも泣く泣く……」
「泣く泣く俺に行っちゃった?」

 とても甘い響きを持つ声が突然降って来る。オレは彼までいたのだとはさすがに気付かなくて、思わず振り返ってその姿を確認してしまった。忙しいリュウがここにいるのも、多分息抜きだろう。一応と言うべきか何と言うべきか、恋人同士だし。

「そういうわけじゃないよ、リュウ。酷いなぁ」
「だって今のはどう聞いてもそうじゃない? ねえ、J君」

 痴話喧嘩に巻き込まれるのは勘弁で、オレは思わず苦笑いを浮かべていた。両方とも口が達者で負けず嫌いだから、こういう時は関わりのない人間はさらりと逃げておくに限る。それは別に今に始まった事じゃなく。
 彼らが付き合いだした時はいつも冷や冷やしたものだ。二人とも暴言どころじゃない、相手の悪口を相手に向かって言うものだからいつかこのバンドはこれが原因で解散してしまうんじゃないかと思ったくらい。今思えばそれは冗談じゃねぇとしか言い様がなかったけれど、二人の喧嘩が始まるとオレはらしくもなくただそれを冷や冷やしながら見守っている事しか出来なかった。イノのように聞き流すでもなく、真矢のように仲裁に入るでもなく。ああオレって不器用だったんだなぁとその時初めて思い知った。場の空気をものともしないマイペースぶりを発揮するイノなんか、二人を見守っているオレに突然「ねぇ、このギターどう?」なんて尋ねてきたりもした。
 オレ達は今でも連絡を取り合い、時間があれば飲みに行ったりもしていた。

「ってそうじゃないでしょ、スギちゃん」

 突然リュウが話を切り替えると、スギもあっさりああそうだなんて言いながらオレに向き直る。
 リュウはその間にコーヒーを淹れ、静かにスギの隣に座った。

「結局はJ君好きだったんでしょ、イノちゃんの事」

 オレが沈黙している間に爆弾発言をするリュウに、オレは思わず飲んでいたコーヒーを噴き出しかけた。

「げほっ、げほっ」
「なんだ、そういう結論なの?」
「え、そうじゃなかったの? なんか別の話?」

 綺麗すっぱりとオレを無視して二人で続く会話の間に、オレの咳き込む音が響く。
 ……いつも思ってたけど、こいつらも結構マイペースだよな。二人して。

「いや、違わないんだけどさ……」
「まぁでも」
「今更じゃないの?」
「だからその今更なんだけど。今だからこそ言いたいっていうか……」

 今更過ぎて笑われるかもしれないけれど、今更だからこそずっと好きだったんだと言いたかった。昔ならば、伝えた後に断られでもしたらオレはイノを傷付けるのは明白で。どうかオレの傷が癒えるまで話しかけないでくれとさえ思ってしまっていただろうから。だけど、今なら『そんな風に思えない』と言われたとしても、ああそうかで終われるんだと思った。
 それで、ようやくこの長い片想いを終えられるんだと。
 そうまでしてイノへの想いを断ち切ろうとしたのは、これ以上このまま好きでいる事がつらかったからだ。ただ一方的に思うだけなら平気だろうと思っていたのはどこへやら、今更あいつの態度がそう変わる事も無くて。無条件にオレに我侭を言ってきたり、困らせようとしてきたり、甘えてきたりするのは別に全然構わない。むしろ、正直に言ってしまえば嬉しかった。だけどそろそろ開放されても良いだろうと思ったからだ。新しく踏み出す為に何かきっかけが必要だったから、だからオレはお前への想いを断ち切る事で前に進めるような気がした。
 それは間違いなくオレの我侭で、もしかしたらイノを傷付けるかもしれない。いや間違いなく傷付けるだろうけれど、そんな事気にするなってオレがその態度を見せてやらなければいけないんだろうけれど。今なら、それが出来るような気がするから。

「イノちゃん、今日オフだよ」

さらりと言ってのけたリュウの言葉にオレは思わず眉を顰めた。

「…………なんで知ってんの、リュウ」

 スギも同じように思ったらしく、リュウに問いかける。リュウはとても綺麗ににっこりと微笑むと、少しだけ首を傾げた。
 ああそうだ、長い長い間会っていなかったせいで忘れていた。リュウとイノはめちゃくちゃ仲が良かった。それでいて、リュウが選んだのがスギだったって事にオレが驚いたほどに。お互いまったく趣味も気も合わないはずなのに、何故かこの二人は良く遊びに行ったり食事に行ったりしていたんだ。

「えー? だって今日イノちゃんに久し振りに飲まない?ってメール来てたんだもん」

 でもスギちゃんとの約束が先だったから断っちゃったんだけどね、と微笑ったリュウはオレにさらににっこりと微笑んだ。

「俺は機会を作ってあげました。あとは、J君がどうするかだよ?」
「言われなくても」

 言うが早いかキーを持って立ち上がったオレに、リュウは満足そうに微笑んだ。
 今度は極上のワインでも手に入れて持って来よう。もちろん、この二人が揃っている時に。






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